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2013/09/28

「ドーナツの穴」についての考察





ドーナツには穴がある。
本来ドーナツの穴とはドーナツそのものの存在によって定義されうるべきである
が、集団的無意識、あるいは集団的無自覚によって曖昧なまま、それを 長らく
放置されているのが実情である。
だからこそ今一度ドーナツに対して真摯に向き合い、万人に共有される再定義を
行うことにした。



穴が無いドーナツが存在すると仮定したならば、それはドーナツのような何かで
あって、決してそれをドーナツと呼ぶことはできないのであり、ドーナ ツを
ドーナツたらしめている最大で唯一の構成要素こそが「穴」である。

ドーナツは穴こそがその主体であり、周りの可食部はドーナツを定義する上では
完全に無価値であり考慮に値しない。
現にその可食部の構成要素である材料やクリーム、かけられているソース等がど
れだけ変わったとしても「○○ドーナツ」の○の部分が置き換わるだけ であり、後
者のドーナツの部位の圧倒的な正当性の前になんら影響しない。
つまり「穴」こそがドーナツであるとこれで断言することができる。


では「穴」の正体とはなんなのかを考えてみる。

ドーナツの中央部に位置する穴は、ドーナツが存在する同じ時空の同一座標上に
突如として出現する。
物質的に存在しないにもかかわらずドーナツという物体を逆定義するかの如く虚
空に然として存在するのである。
無いのに在り、有るのに無い。これが何かに符合していることに気づくことがで
きるはずである。

それは「神」である。

神の持つ構成要件とドーナツの穴のそれは恐ろしいほどまでに一致している。
ドーナツの穴はその特異な性質から神と同義語であると言わざるを得ない。

これでドーナツの穴が「神」であると定義付けることができた訳だが、蒙昧無知
で無信心な連中が「穴のないドーナツだってあるじゃないか」と反論す るのは
目に見えている。
そもそもドーナツには穴が空いているのが絶対条件であり、もはや世界が求めた
究極的な真理である。
聖書もしくはコーランと肩を並べるほどまでの完璧なルールを破り、穴の無い
ドーナツモドキを許す者は伝統と文化を蔑視し、それを憎悪するアナーキ スト
でありアウトローのろくでなしである。
神と同質であるドーナツの穴を蔑ろにする者には後々ドーナツの神から天の審判
がくだされるのは想像に難くない。

残念なことに何時の時代にも神に唾する、レジスタンスは少なからず発生する。
「穴のないドーナツだってあるじゃないか運動」を繰り広げている哀れな子羊に
ここで宣言する。





穴のないドーナツは「揚げパン」である。





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