アンドロイドは電気羊の夢を見るか?
キムタク主演のドラマ『安堂ロイド』が話題になっているらしいが私は見ていないのでこの件についてコメントする立場にない。
今回は本物のアンドロイドに付いてである。
なぜ急にこんなことを言い出すのかといえばこのニュースを見たからだ。
人工臓器を備え、呼吸をし、人工血液が体内を巡る。史上初のバイオニック人間が登場!
懐かしの『先行者』 |
現実に治療に使われている最新の医療デバイスがこれには使われているのである。
実際に患者の体に使われている様々な医療デバイスを使って人体を模している訳だがこれは科学的技術的問題よりも先に哲学的問題にぶち当たる。おそらく製作者もそのことを意識して作ったと思われる。
哲学的問題とはなにか?
それは『生命とは何か』ということである。
科学万能時代と言われて久しいが未だに科学は生命の定義すらできていない。
例えばウィルスは確かに振る舞いは生命のそれであったとしてもその構成要件は生命とは断言しにくい。
テセウスの船という有名なパラドックスがある
簡単に説明すると長年にわたって使用され幾度もの修理交換を経た舟は当初の舟と同質とは言えないのでは無いかという問題のことでヘラクレイトスの川と内容は同じである。
テセウスの船もヘラクレイトスの川もアイデンティティへの懐疑が発端になっているが今回は生命の話である。
一人の男が事故に遭い両足を失ったとする。
男は義足を手にすることで以前の生活を取り戻すがこの場合、彼の人権は両足が無くなった分減量されることもないし、それ以外に何かしらの権利が目減りするようなこともない。彼の権利が担保されているのは我々の社会がそういったことに合意しているからに他ならない。
では、もしこの男が更に事故に遭い両腕、胴体を失い頭部だけの存在になってしまった場合はどうだろうか?
医学が発達すればありえないこともないこの問題に我々はどこまで真剣に取り組んでいるだろうか。
上記で紹介した人造人形はこの男のケースの逆である。
心臓を始めとした臓器が有り、AIによって意識らしきものもある。その意識によって動く事ができる。振る舞いは人間のそれと変わらない。
はたしてこの人造人形は人間なのか?
今はまだその見た目や動きのぎこちなさで明らかに作り物感が漂っているから笑い話にしかならないが、技術が発達して一見したところでは見分けがつかないレベルまで到達した場合、我々はどう対処するべきなのか。
アンドロイドに人権を与えるかという問題は必ず起こる。
そうなったら法体系を整備しなくてはならないし、法の源泉が倫理感である以上、哲学的にこの問題をクリアしていなければならない。
これは我々の文明において地動説が覆された時と同等かそれ以上の衝撃でありブレイクスルーであると言える。
人間がその体の一部を機械に置き換える技術が確立されたならば、それらの機械部品だけで人間らしきものを作り出すことも可能になるのは必然であり、実際にそのような未来が来た時我々の倫理観はどのような変化をみせるのか大変興味深い。
この手の話は映画、GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊 に詳しくある。
主人公の『少佐』こと草薙素子は体のほぼすべてを義体に換装済みでオリジナルの体は脳の僅かな部分だけという設定である。
その物語の中で彼女は自分が本当に自分なのか本当の自分は、はるか昔に死んでいて今の自分はただの機械なのではないかと葛藤する。
映画の中で人間とアンドロイドを隔てているのは『ゴースト』がそれに宿っているかどうかということになっているが、科学が究極に発展した世界であっても最期は曖昧な『ゴースト』というものに救済を求めているところが興味深い。
続編の『イノセンス』において人形と人間の差なんか殆ど無いと結論付けたように我々が思う生命と非生命の境界は極めて曖昧なもの何だと今更ながら納得する。
何時の日か来るその時のために今日からでもこの問題に真摯に取り組んでいかなくてはならない。
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