『意識高い系』
最近流行りの『意識高い系』が苦手だ。
こういった連中の物の考え方、表現の仕方が何に付け鼻につく。
本をよく読むという奴に何を読んでるのかと聞いてみると、さも勝ち誇った顔をして自己啓発本のタイトルを答えた。
「読書ってのはそういう本じゃねえよ」と言い放ちたいが、そこはぐっと我慢して「へえそうなんだ」と取り繕う。うっかり批判でもしようものなら酷い目に遭うからだ。
そんな奴らが呟く言葉には魂がこもっていない。すべて借りてきた言葉だからなんの説得力もない。言葉だけがただ上滑りしていく。
得てしてこういう『意識高い系』の連中は群れを成す。
胡散臭い似非カリスマを祀りあげて何らかの集団を形成する。
新興宗教のそれと構図は同じだ。
スリム○カン社長の斎藤○人なんてのは教祖そのものに他ならない。それは新興宗教とは違うとおっしゃる人がもしいるならば、何が違うのか御教授願いたい。
自らが発する臭いにはなかなか気づかないと言うが、それは同族の集団も同じなのだろう。
彼ら『意識高い系』の群れが放つ異様な悪臭はその数を増すごとに比例して跳ね上がり、もはや毒ガスである。
人間には欲望が在る。
食欲、性欲、睡眠欲は生命と種を維持する上で欠かせないのは説明するまでもない。
それ以外にも金銭欲、物欲、出世欲、名誉欲、承認欲、等々上げていけばきりがない。
本来、欲と言うのは恥ずかしいものだ。
誰しも心の内に秘めては、いるものの堂々と表に出して良いものではない。
そんなことを恥ずかしげもなくやっている連中のことは『浅ましい』以外に表現の仕様がない。
彼ら『意識高い系』はその諸々の欲望を自己啓発本に載っている口当たりの良い言葉に置き換えているだけである。
欲望をむき出しに金金と眼の色を変え、端から見れば畜生道に堕ちた餓鬼の如き有り様だ。
ところが彼らには他の人間こそ馬鹿に見えているらしい。
成功者の本を読めば成功する筋道が解る。
当たり前の話だ。
その本を書いた人間はなんらかの成功を収めたのだから、そのやり方が正解であったことに異論はない。
その道で何か成功するノウハウを持っていたから成功したのであって、赤の他人が本を真似たところで同じ結果を得られるほど世の中は簡単にはできていない。
『夢を諦めなければ必ず叶う』
この甘言が嘘であることに気づかないまま大人になってしまうのは本人が悪いのかそれとも世間か……。
オリンピックに出場することを幼いころから夢に頑張ってきた者が居たとする。
苦しい練習に耐え、厳しい競争を勝ち抜き見事代表を勝ち取ったとする。
その一人が手にしたオリンピック行きの切符の影に夢破れた多くの選手達がいたことを無視する訳にはいかない。
彼らもまた血反吐を吐きながら練習に明け暮れていたはずで、やはり幼い頃からオリンピックを夢に頑張ってきただろうことは想像に難くない。
夢を諦めず、がむしゃらになっても現実は一握りの人間にしか切符を与えない。
世界はそうやってできている。
こんな簡単なことを『意識高い系』の連中は気が付かないと言うのだろうか。
おそらくこの問題も自己啓発本の中では、また口当たりのいい言葉に書き換えられ見て見ぬふりをしているのだろう。
最初に自己啓発本なんか読書じゃないと書いたがそれは間違いだ。
ファンタジー小説として捉えればそれなりに楽しめるかもしれない。
冷酷な現実に目を瞑り、努力さえすれば皆の夢も叶う、そんなやさしい世界へと導いてくれる自己啓発本をみんなで読もう。
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