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2013/10/23

アウトサイダー・アート 盗撮者 ミロスラフ・ティッシー



盗撮者 ミロスラフ・ティッシー




ミロスラフ・ティッシー




 この異様なカメラのような物を見ていただきたい。
 本体のほとんどはダンボール、板切れ、輪ゴム、セロハンテープ、瓶ビールの王冠、糸巻きボビン、パンツのゴムひも、そして接着剤として道路のアスファルトが使われている。
 それらを組み合わせ、なんとなくカメラに見えるこの物体は実際にカメラとして機能し、これを使って45年間もの間、写真を撮り続けた男がいる。




ミロスラフ・ティッシー



 チェコに生まれその未来を嘱望された美術学校の生徒だったティッシーは1948年に起きた共産革命によって、その人生は大きな時代の波に飲み込まれていくことになる。
 
 共産化された社会において芸術は常に監視され規制の対象になった。

 女性をモデルに写真を撮ることを禁止され、労働者をモチーフにした作品作りを強制されたティッシーはそれを拒否したことで8年間にも渡る獄中生活を送ることになる。

 釈放後に生まれ故郷へと帰ったティッシーだがそれでも自分のスタイルを変えること無く女性を撮影し続けた。

 人の目を盗むためなのか、それとも本当に精神を病んでしまったのかは不明だが、彼はホームレス同然の格好をして毎日のように街中を歩きまわり執拗に女性を撮影し続けた。

 撮影方法は常に『盗撮』である。彼が手にしていたカメラを人々はただのガラクタだと理解していたし、ティッシー本人のこともかわいそうな狂人と認識していた。

 これはティッシーからすると好都合であった。

 ありのままの女性を撮影するにはカメラの存在を意識されてはいけない。
 どれだけ撮影になれたモデルだとしても、カメラに撮られているという意識はその深層心理に影響し、本当の意味での『ありのまま』は存在し得ない。


 2004年にキュレーターのハロルド・ゼーマンによって見出されるまで、ティッシーはこの手法で実に45年間にも渡り写真を撮り続けることになる。





















 彼の性衝動が盗撮という手法によって具現化された作品はまさにアウトサイダー・アートと呼ぶに相応しい。

 彼の生き様、風貌、手作りのカメラからあふれる天才的な変態性は見るものを圧倒させる説得力があるし、写真の本質がそこに透けて見えるように感じる。









作品とは本来こうあるべきものなのかもしれない。




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